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コンサート第2部の記録 | |
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![]() [経 歴] ● 劇団演集所属,劇団歴40数年。年2〜3回の舞台公演に出演。 巣山プロダクション所属,TVドラマ,TVコマーシャル等多数出演。名古屋放送芸能家協議会会員。 (プログラムより) |
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![]() [経 歴] ● 愛知県立芸術大学卒業。同大学院修了。リサイタル,2台のピアノによるデュオコンサートの他,モーツァルト・グリーク・ショパン・ガーシュインのピアノコンチェルトを演奏する。また,歌曲やオペラの伴奏者としても活躍。福井直後,オスカー・ケーベル,宇都宮淑子,三浦洋一,青山三郎の各氏に師事。現在,名古屋音楽大学教授。 (プログラムより) |
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![]() あどけない話(1928年,光太郎46歳)…「智恵子は東京に空が無いといふ」ふるさとを想う智恵子。 あどけない話♪ 値ひがたき智恵子(1937年,55歳)…心に棘が突き刺さる痛みが,ある日ピアノに向かっていたとき音楽そのものになって湧き上がってきた。その音形に乗って智恵子は,現実世界を離脱して「美意識圏」に入っていく。もう戻ることはできない。 レモン哀歌(1939年,57歳)…智恵子は死の直前に,現実世界に戻ってきた。それに気付いた光太郎の驚きと感動。数滴のレモンの汁が起こした奇跡であった。そして智恵子は逝く。詩の一節一節が,それぞれに特有の質感をもった響きを求める。この曲では智恵子を失おうとしている光太郎の心の動きに,音楽的にも迫っていこうとした。 若しも智恵子が(1949年,67歳)…光太郎は1945年,岩手県の山林の三畳敷きの小屋で農耕自炊生活に入る。自然の恵みの中,智恵子は若き日の姿で光太郎の心に生き続ける。 (プログラムより) |
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![]() [経 歴] ● 東京芸術大学音楽科声楽科卒業。1986年 愛知県芸術文化選奨文化賞(個人の部)受賞。元名古屋音楽大学講師。元愛知教育大学講師。元名古屋オペラ協会委員長。現在社団法人「日本歌曲振興会」理事並びに名古屋支部長。スタジオあいの会主宰。日本イタリアコンソルソ,日本歌曲コンクール等多数審査員。故四家文子,故木下武久,故ジーノベーキ,故中川牧三,佐々木成子,各氏に師事。 委嘱作品により「日本の心をうたう」リサイタルで,「智恵子抄」(朝岡真木子作品,2001),モノオペラ「天女の歌」(加藤由美子作品,2003),「笛吹き女」橋本國彦作品(2005)他多数。 またオペラ「夕鶴」つう役(小田健也 演出・名古屋オペラ協会旗揚げ公演オペラ,1983),「修善寺物語」かつら役(名古屋オペラ協会・日本オペラ協会共催),「春琴抄」春琴役(栗山昌良 演出・愛知県芸術劇場大ホール開館記念,名古屋オペラ協会,1993)他多数。演奏会形式,「野菊の墓」母やす役(波の会,1995)など。モーツァルト「レクイエム」,フォーレ「レクイエム」,バッハ「ヨハネ受難曲」,ビゼー「テデウム」等にソリストとして出演。 (プログラムより) |
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![]() ![]() 最後に,作品を素晴らしく歌い上げていただいたことに感謝の気持ちを込めて,伊藤晶子に花束を贈呈した。 |