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ミサソレムニス(ベートーベン)の研究 | ||||||||||||||||
◆ 2013/12/10(tue) 「終わり方が中途半端」という問題 | ||||||||||||||||
ミサソレムニスについての評論を書きます。
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◆ 2013/12/13(fri)《第2回》 ハレルヤコーラスがこんなところに | ||||||||||||||||
Dona nobis pacemの演奏が進むと、突然聞きなれた名曲の一節が聞こえてくる。
ハレルヤコーラス(ヘンデル作曲「メサイア」の合唱)である。ベートーベンがヘンデルのメサイアなどオラトリオを中心に楽譜を手に入れ、研究していたことは、松村洋一郎氏の論文「ヘンデル作品に関するベートーヴェンの知識」に詳しい。 それぞれを詳しく比較検討すると、「ハレルヤ」の"and He shall reign for ever and ever."(そして主は永遠に統治なさるべし)のフガート(楽曲の一部で、フーガの手法を取り入れた部分)と、テーマの主要な音に限らず、続く各声部の応答に到るまで、関係が一致していることがわかる。 譜例2-1、2-2において、一致する音に青丸、赤丸をつけて示す。譜例をクリックすると、弦楽合奏の音色で音が鳴るようになっている。 なお、ベートーベンのこの部分は本来ト長調であるが、比較しやすいようにニ長調に移調してある。小さな楽譜をクリックすると、それぞれの音源通りの四声体を大きく表示する。これらから、偶然の一致ではなく、意図的に引用したのは明らかである。 ベートーベンのアニュスデイでは、どのようにこの部分が導かれるのかというと、まず"Dona nobis pacem."の重要な主題(第123小節、譜例2-3)が提示される。同主題の冒頭の特徴的な6度下降が、127小節以下で4小節だけ展開されて経過部を形成し、イ長調の部分を導く。再現部では、テーマ繰り替えされる(212小節以下)が、続く部分が拡張しされて比較的長い(25小節間)フガートになる。ここに「ハレルヤコーラス」のパロディーがはめ込まれる。 ソナタ形式の標準では、第二主題は提示部の属調(主調がDの場合、A)であるが、再現部では第二主題も主調(D)に戻り、必然的に転調の経過が変わる。それを利用して再現部に手を加えて華やかにする手法がある。分かりやすい例としては、ソナチネアルバムにも入っている、ベートーベンの作品49の2曲のピアノソナタがある。そのパターンを利用しているわけだが、そこにちょうどハレルヤコーラスのフガートがうまくはまっている訳だ。そして提示部の第二主題のイ長調は、再現部では主調のニ長調に戻っている。 ただし、最初からヘンデルの引用を目的として逆算して主題を作った訳ではなく、作曲の途上で偶発的に生じたと思われる。第127小節の経過部は、g-hの6度下降の音型を大体5度ずつ3回上げて追いかけるが、再現部の217小節では趣を変えて、g-hを3度下げて追いかけてみた。するとe-gとなり、たまたまハレルヤコーラスの主題に似るのである。ベートーベンはここに目をつけてそのままフガートを続け、この機会にヘンデルに敬意を払ったと思われる。 ベートーベンが引用したのはヘンデルだけではなく、クレドの一番核心となる部分(イエスの復活)を中心にパレストリーナによる教会音楽の様式を用いている。また、バッハのロ短調のミサ曲をヒントにしたと思われる部分もある。しかしこれらの復古的な要素は、逆に古典主義の響きを打ち破る斬新な響きとして我々の耳に届くのである。 |
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◆ 2013/12/25(wed)《第3回》 "Dona nobis pacem."の最初の3つの主題 | ||||||||||||||||
3つの主題を中心に、音楽構造に少し立ち入って分析する。
アニュスデイの前半部を終わり、ニ長調の部分は、下降の分散和音から始まる。ソナタ形式における主題ほど明瞭ではないが、ひとまず主題Aとしておく。次に対旋律を伴う主題Bが現れ、フガート風に展開する。 締めくくるように、次の主題Cが現れる。主題Cは、A、Bのどちらとも違う新しい材料に見えるが、拍節が主題Aと共通し、音型もAと類似し、Aの繰り返しとして聞き取られる。さらに2小節目の音型D-E-Fisは、Bを受けている。 しかし、Cは明らかに終止感を持たない。それは最後の主和音Dは弱拍に置かれることと、直前の下属和音は、第一転回(つまり、最低音が本来のG音ではなく、第3音のH音になる形)であることによる。 ところが、この主題Cが全曲を終止させるために使われている。これが「荘厳ミサのアニュスデイは終わった感じがしない」原因である。 これは重要なので、和声における終止という問題を掘り下げてみたい。
完全終止(楽曲が完全に終止するときの和音)は属和音→主和音(ハ長調ではG7→C)。 下属和音→主和音(F→C)も楽曲を終止させることができるが、この終止を変格終止という。宗教曲では、しばしば"Amen"という歌詞の変格終止を完全終止に付け足す形で用いるので、アーメン終止とも言われる。《譜例3-4》 ミサソレムニスでは、キリエは完全終止である。ただし、属和音から低音だけDを先取りしA7onDである。グロリア、クレド、サンクトゥスはいずれも変格終止である。とくにクレド《譜例3-5》、サンクトゥス《譜例3-6》は宗教的雰囲気をたっぷり醸し出す。 それらに対して、主題Cの終わり方は、変格終止の一種ではあるが、下属和音GがonB(英語音名)なので終止感を伴わない。それでもアニュスデイの最後は、このテーマCを用い、最終の主和音Dを2小節あまり伸ばすだけで終わる。 主題A,Cに対して、主題Bは姿を変えながら4か所で登場する。最初は第2バイオリンの修飾音型を同音域で重ねるので、旋律線はややぼやけた印象になる。2回目以降は、それぞれ特徴のある現れ方をする。 2回目は、終盤226小節・プレストの間奏部の主題《譜例3-8》になって現れる。 主題Bは短縮され、またフォルティシモで低音に置かれる。また対旋律は第2バイオリンで変奏される。しばらく展開され、終結部のように盛り上がる。やがて変ロ長調で金管を伴いティンパニーが全力で連打する。前半164小節では、現実の戦場の恐怖を描きただ怯えるだけであったが、今度は天の軍勢が現れ、地上の戦争を制圧して平和が訪れる。ソプラノソロが、合唱とともに、今度は勝利を確信して"dona nobis pacem."と高らかに歌う。 すなわち、主題Bの本質は「天の軍勢による勝利」のメロディーであった。やがて(355小節から)次第に沈静化し、361小節から主題Aが変奏されながら再現する。主題Aはこれで3回目だから、ロンド形式のような作りである。主題Aは次第に合唱に移り、やがて374小節で、テーマB《譜例3-9》を呼び出す。テーマBは今度で3回目でソリストの重唱である。もはや対旋律は消え、装飾音型もなく、穏やかに平和への感謝を歌う。 そのまま383小節まで展開し、384小節から389小節までは、提示部の終結部(155~161小節)の繰り返しである。今度は主調のニ長調で再現される。 ところが、第1回で述べたように、390小節で"pacem"の叫びは突然断ち切られる。そして、395小節のホルンによる、主題Bの4回目の登場である。もう、第九の歓喜の歌に直接つながるひびきとなっている。 このように主題Bはその都度姿を変えながら4か所で現れ、心の「外の平和」(現実生活における戦争の脅威を取り除こうとする意思)を表すものである。またさまざまな姿による登場を通して、歓喜の歌に近づいていく。 しかし、主題Bで終結することはない。また主題Cが帰ってくる。そしてティンパニーによる戦場の響き(406~415小節)は、pppになって遠ざかる。だが、それに置き換わるべき主題CはGonB→D(《譜例3-7》)という、終止とは言えない終止である。クレドやサンクトゥスにおける変格終止に比べても、極めて不満足である。 そして、アニュスデイはそのままあっけなく終わってしまう。戦場の恐怖や、天の軍団の反撃を力強く音楽で描いていることから見て、ベートーベンにとっての「平和」は、続く「聖体拝領」で完全解決する問題ではないのである。もう、カトリック教会の内部に留まることはできない。教会の外に出て、現実社会における平和への意思を高らかに歌い上げなければならない。 平和を願う強い意思は、ついに教会音楽から飛び出して、現実社会に向かう。それが第九の4楽章である。実際、初演演奏会では、その次に第九が演奏された。私は、主題Bと主題Cの展開を音楽的に詳しく見るほど、その思いを強くするのである。 |